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ここずたうん バックナンバー


大野南地区を楽しく育てる情報誌

※この事業は、2011年度から2013年度の相模原市南区地域活性化事業に地域情報紙発行事業として認められた事業です。

ここずたうん0号 2012年3月25日発行の創刊準備号

詳細はこちらをクリックしてpdfファイルでご覧ください。(サイズが非常に大きいため、表示に時間がかかる場合があります。)

下図は表紙p.1の画像です。
ここずたうん0号(創刊準備号)の表紙1面の画像です。

中面 p.2-p.3の画像です。
ここずたうん0号(創刊準備号)の2-3面の画像です。

p.4の画像です。
ここずたうん0号(創刊準備号)の4面の画像です。



112人のインタビュー 堂々全掲載!


中面では、『東日本大震災3.11以降 [暮らしと防災] 意識は変わった?』について、100人インタビューを目指し、相模大野駅周辺や商店街、公民館のイベント会場などへ出向きました。その結果、112人の方々から声をいただきました。お忙しい中でのご協力に感謝いたします。
紙面でお伝えできたのは少しだけ。なので以下に、すべての方の気持ちを掲載します。

NO. 質問:東日本大震災3.11以降[暮らしと防災]意識は変わった?
1 原発絶対反対。祝い事を自粛している。向こう10年間は震災で亡くなった方を弔うつもりだ。自粛した分、そのほか節約した分、僅かだが救援金を続けている。被災地の子どもたちは、引っ越してきてほしい。祈るしかないと思って、毎日祈っている。 (70代 女性)
2 自分には被害はなかったが、災害に無防備であったことに気づいた。生きていることがありがたい。毎日、幸せを感じながら暮らしている。 (70代 女性)
3 全てが変わった。ものごとのみかたが変わった。表面だけをみてはいけない。情報は鵜呑みにしないで、かみ砕いて取り込むようになった。平和で、災害や電気のことなど、日本人は全てに鈍感になっている。意識が低いところに、起こるべきして起った気がする。自分や人のことをよくよく考えるようになった。 (40代 女性)
4 節電するようになった。節約するようになった。無駄なものを買わない、不要なものを処分した。景気が悪くなり、お給料も上がらないでカットされているように思う。経済が低迷している。(40代 女性)
5 一期一会を大事にするようになった。家族が出ていくときに、笑顔で見送るようになった。家の中にある不用品を片付け始めた。防災品を少しずつ買い揃え始めた。 (40代 女性)
6 気持ちが違う。当たり前の生活がいつどうなってもおかしくない、今までそんな風には考えなかった。日常がありがたい。一日一日に思いがある。覚悟ができた。日本人の考え方も変わったと思う。 (40代 女性)
7 変わらない。以前から電気は無駄づかいしていないし、必要最低限のものしか購入しない。 (40代 男性)
8 備蓄をするようになった。食料だけでなく電池等の物品もなくならないように日常的に気を付けるようになった。電気代を気にするようになった。 (30代 男性)
9 避難場所の確認をした。何かあったときの連絡手段を、通信手段を何パターン考えた。PHSはつながるとか。TV、インターネット、ツイッターで情報が食い違っていたので、どこの情報が正しいかをよく考え取捨選択するようになった。帰宅難民になったとき、トイレ等の情報がリアルタイムで伝わらなかったので、出かけるときには普段から気を付けている。いざという時に必要なものをリュックに入れて用意した。ライフラインを考え、風呂の水をためるようになった。防災意識が日本人は低いと思う。結婚する人が身近で増えた。知り合いの職場では、棚を低く設置しなおした。暖房等、電気からガスへ切り替えた。電気への依存が減った。(30代 女性)
10 外出時、歩いて帰れるか、どうやって帰れるか、地図をみて経路を考えている。耐震を気にするようになった。災害時、トイレが気になる。つまらないことで怒らないようになった。 (20代 女性)
11 節電や節約は当たり前になった。他は変わらない。 (10代 女性)
12 水や食糧など3日分以上の備えをし、非常持ち出し品の点検をこまめにするようになった。 (60代 男性)
13 地域でのきずなを大切に思い、防災についての知識を得るようになった。 (50代 女性)
14 震災後は家族との連絡を取るのに大変でした。今後地震が来たときの家族との待ち合わせはきちっとしました。たぶん電話は通じないと思うので。家には防災グッズを用意しつつありますが、まだ完全ではないです。災害は家にいる時だけではないと思うので、「落ち着くように努力」 (60代 女性)
15 地震対策をとるようになり、備蓄品にも気を使うようになりました。また、原発も気になり、節電に気を付け、電気のつけっぱなしや、コンセントを抜くようにもしています。 (50代 女性)
16 原発は少しずつでもなくしていった方が良いと思いました。地震は突然なので、火の元だけは気をつけようと思いました。 (40代 女性)
17 震災後は防災グッズをそろえたりしましたが、今はまたもとのまま。ガソリンは常に満タンにしておくようにはしています。 (40代 女性)
18 家族で何処に集合(向かう)か具体的に話し合うようになった。放射能が気になり、野菜の産地を見るようになった。水や簡単な食物をストックしはじめた。 (50代 女性)
19 家族で何処で待ち合わせするか、あらためて決めました。 (50代 女性)
20 お風呂のお湯は次回くむまで流さない。(マンションは停電になると水が出なくなるのでトイレの水を確保する)半身浴(長湯)をしなくなった。出掛けた時家までの道(避難用)を確認する。 (50代 女性)
21 何も変わらない。その時はその時。心配したくない。考えたくない。 (40代 女性)
22 防災グッズ(トイレ 水 食べ物》の再確認。家族の待ち合わせ場所、自分が市外に出掛けた時は、必ず家族に伝えるなど居場所の確認。ガラス等飛び散る物を下に置いたり、使わないものはしまった。また戸棚のガラスは、飛散防止フィルムをはった。どんな小さな地震の時でも、気付いた時は必ず火の始末、ドアに靴を挟み、避難道を確保している。前よりもいつ大地震が来てもおかしくないと緊張した気持ちでいる。ただ実際に起きたらなるようにしかならないとはおもっているが・・・。節電もあったので、電球や電化製品など買い替える機会のある物は、LEDや省エネの物を買うようにしている。 (50代 女性)
23 マンション住まいで隣近所の付き合いが希薄なのでもっとお互いに交流を深め災害時に助け合えるようにしておく必要があると痛感しているが住人名簿等作成しようにもプライバシー保護の為の個人情報が・・ということで円滑に進まない。 (60代 男性)
24 マンション高層階に住んでいるが3.11の地震の時家具が倒れたりしたのでより対策を講じている。 (40代 女性)
25 生鮮食品の買出しは冷蔵庫内が空になるまでしなかったが何かあると困るので余裕を持って買うようになった。 (30代 女性)
26 防災訓練に参加するようになった。 (30代 女性)
27 節電に取り組んでいる。 (60代 女性)
28 わたしは1960年5月24日のチリ地震津波を青森県八戸で体験しました。市内では魚市場の商店は商品棚まで浸水しましたが街の方は道路脇の下水溝の蓋の穴から海水が吹き上げ床下が漬かったくらいでした。この経験からして、今度の東日本大震災の津波に遭っていたらおそらく逃げなかったろうと思います。不測の事態で判断に迷う時人は体験に頼りがちですが、普段から非常事態に対する知識を養い、またその時はできるだけ多くの情報を得るようアンテナを張ることが大事だと思いました。相模原市は北から東にかけて立川断層、鶴川断層、西に少し離れて伊勢原断層があります。大地震の時どうするか、この機会に真剣に考えようと思いました。 (80代 男性)
29 人との関わりを大事にしたいと思いました。 (60代 男性)
30 原発等安全に関する問題に敏感になった。 (50代 男性)
31 今住んでいる地域・自宅の地震対策に関心が大きくなった。自宅の耐震補強をどうするべきか悩んでいる。 (60代 男性)
32 室温を夏は少し高く、冬は少し低く設定してます。電力は少しでも無駄に使わないように気をつけるようになりました。 (50代 女性)
33 原発の問題を収束する政府の対応を見て、国家戦略とはとても恐ろしいです。消すことのできない原発等、いくら経済効果があろうと使うべきでない。又それを止められなかった国民にも責任がある。今、リニア問題が浮上しているが、まったく同じ構図。みんなで勉強しなくては!!との思いが強くなった。 (60代 女性)
34 何も変わらない。変わらず電気も使っていて、節電もしていない。地震には敏感になっている。 (10代 男性)
35 周囲が変わったのに驚く。イライラしている人が増えた気がする。自分自身は変わっていない。 (20代 男性)
36 避難場所を確認した。小さい地震には慣れてしまった。 (60代 女性)
37 地震がいつくるかわからないので、怖くて地下鉄には乗れない。そのほかは変わらない。 (30代 男性)
38 地震直後は備蓄したりしたが、最近は何もしていない。子どもが小さいから心配。 (40代 女性)
39 子どもが心配だが、何もしていない。変わってない。 (30代 女性)
40 電気を使わないようものすごくケチっています。 (60代 女性)
41 私は福島県出身で父親の実家が福島県浪江町で母親の実家がいわき市で、両方とも震災後、津波にはあわなかったが、原発の関係で自宅に住めなくなっています。災害のおそろしさを感じています。 (70代 男性)
42 3.11以降、何かしたいと思いながら何もできないのが実情。自分の立ち位置を考えながら「自ら動く」「怒」「文化のある生活」を。自然、人、文化との出会いを大切にしながら。 (60代 男性)
43 震災より生活は変わりました。表に出なくなった。近所関係の見直しを考えました。 (60代 男性)
44 3.11以降、防災意識が高まった。節電をふくめて節約意識が高まった。備蓄物資が増えた。 (70代 男性)
45 ラジオを買いました。 (30代 男性)
46 各部屋に懐中電灯を買った。ランタンも買いました。 (40代 男性)
47 電気の供給について関心を持つようになりました。節電は、以前から心がけていたけど、もっと。 (60代 男性)
48 震災ボランティアに行っている友人がいて、その友人に支援物資を意識して届けるようにしたりするようになりました。 (40代 女性)
49 原発に関心がより強くなり、いろいろ考えるようになりました。 (10代 女性)
50 食べ物の生産地が前より気になる。 (40代 女性)
51 考えると不安になるが、いまを懸命に生きるしかないと思う。 (20代 女性)
52 地震のとき、仕事で茨城にいた。その後も毎月のように茨城に行くけど、行くたびに不安になって眠れず、食欲が落ちる。 (50代 男性)
53 小さな地震でも、「落ち着いて」と自分に言い聞かせています。 (50代 女性)
54 生活は何も変わっていませんが、なんだか不安がいつもつきまとっています。 (60代 女性)
55 放射能のことがとても気になって、娘に雨に濡れないように言ったり、マスクをつけるように声掛けするようになりました。 (50代 女性)
56 ものすごく変わりました。でも、どこがどう変わったかと訊かれると、うまく言えないんです。 (50代 女性)
57 具体的にこれが変わったというものはありません。でも、私は、政治哲学を勉強していますが、それらとの向き合い方が変わった気がします。卒論を書くときも、震災について考えたことが反映されたように思います。 (20代 女性)
58 う~ん、節電。それぐらいかな。 (10代 女性)
59 特に何も変わらない。家族間の会話は増えたかもしれないけど。生活も環境も以前と同じ。 (10代 女性)
60 原発に対する依存が大きかったことを認識した。 (40代 男性)
61 今まで以上に備えを考えるようになった。原発の怖さ、これから自分たち、子どもたちを守るのにはどうしたらいいのか考えるが、何とかできるわけではない。 (40代 女性)
62 今までの日本ではなくなった。今までの日本では生活できない。 (50代 女性)
63 災害に敏感になった。地震情報に神経を使うようになった。 (70代 男性)
64 節電に気を付けている。暖房をファンヒーターから石油ストーブに変えた。カセットコンロや非常食を備蓄している。 (60代 女性)
65 大きな事件だった。自分がかわるきっかけとなった。子どもとがんばっていこうと決意した。 (40代 女性)
66 防災に対する意識が変わった。何か支援しようという気持ちが起こり、被災地に関係するボランティアを始めた。他人ごとではなく、こちらでも、地域で何ができないかと考えている。 (70代 男性)
67 まさかのときに備えなくてはと思うようになった。まだ備えていないが。 (60代 女性)
68 直後は水や雨に気を付けていたが、1年たって元通り。 (20代 男性)
69 地震グッズをそろえたり、少しの揺れにも気を配るようになりました。 (10代 女性)
70 特に変わっていない。 (10代 女性)
71 福島原発については騒ぎすぎ。放射能についてははっきりとしたデータがない。自然界でも槍ヶ岳では放射能(コバルト)が多い。レントゲンや電子レンジなども問題である。瓦礫のうけいれに反対しすぎである。人の命は地球より重いの? (60代 男性)
72 大船渡より北に親類がいるが、死者はいなかった。過去にも津波にあっているので山に逃げたからだと思う。津波の経験を石碑で後の人のために残しているが、その場所が観光化され、本来の意味がうまく伝わっていない。地震や災害に慣れてしまうことが怖い。うまく伝えていく必要がある。 (60代 男性)
73 阪神の時、地震の怖さをわかったつもりになっていた。津波は予想外。逃げない人もいたと聞いた。海で仕事をしていた時は海を怖いと思ったことはないが、今回は海が怖いことを実感した。侮れない。 (70代 男性)
74 家族全員が揺れに敏感になった。ソーラーなどのエネルギーが気になるようになった。節電で停電になったので、そちら(節電)に気が向いていけばよい。怖いのはしょうがない。 (70代 男性)
75 災害は防げない。自分自身を守るしかない。近所付き合いをしていないと大変なことになる。 (70代 男性)
76 非常食を欠かさず備蓄している。 (30代 女性)
77 節電に気を付けている。いざという時に家族への連絡をどうとるか、毎日考えている。 (30代 男性)
78 節約、節電している。防災に興味があるようになった。 (30代 女性)
79 食べ物や飲み物を備蓄している。子どもが小さいので放射能が気になる。食品の産地を気にしている。 (30代 女性)
80 あまり変わっていない。家に防災品は備えている。 (30代 男性)
81 備蓄するようになった。防災意識が高まった。家の中を見直した。 (30代 女性)
82 3.11当初は備蓄などしたが、今はやっていない。出かけたときに出先での避難場所がわかるようになっていればいいと思う。 (30代 女性)
83 家具を買い替えたり、収納の仕方を変えた。 (40代 女性)
84 避難場所の小学校や中学校は地域の人が全て避難できるのか? 溢れるのではないかと心配である。携帯電話がつながらないとき、公衆電話のある場所も気になる。 (40代 女性)
85 日々の当たり前のことに感謝するようになった。資源を無駄にしないようになった。 (30代 女性)
86 子どもがいるので、いざというときの連絡方法や避難について考えるようになった。 (30代 男性)
87 気持ちが変わった。東北出身で、知り合いが亡くなったり、家を失った人がいて、つらい思いをしている。義援金をしている。 (70代 男性)
88 地震の怖さを知った。備蓄して備えをするようになった。危機管理を意識するようになった。備品の点検をするようになった。親との連絡の取り方を確認した。 (30代 男性)
89 子どもと連絡できるように携帯電話を持つようになった。使い方を勉強中。近所のつながりが大事だと思った。一人暮らしの方など、日常から声掛けをするようになった。 (70代 女性)
90 節電の意識が高くなった。電力、とくに原発が怖い。エコへの気持ちが高まった。 (30代 女性)
91 子どもがいるので心配。直後はインドへ帰りたいと思ったが、今はそうでもなく落ち着いた。インドでも災害はある。 (40代 男性)
92 災害が怖くなった。 (10代 女性)
93 小さい揺れでも意識するようになり、窓を開けて避難経路を確保するようになった。まずはメガネをかける。 (10代 女性)
94 実際に震度5弱を経験して、いつでも、どこでも地震がおきても不思議ではないと思うようになった。地震が現実的になった。 (10代 男性)
95 ニュースを見るようになった。募金している。 (20代 男性)
96 節電するようになった。近所づきあいは大事だと思った。 (70代 男性)
97 生活は変わらないが、被害の大きかった現地を思うとつらくなる。 (70代 男性)
98 先のことを考えたり、欲がなくなった。今現在を大事にしている。 (60代 男性)
99 南相馬市から嫁の母親が避難してきて同居中。この先どうなるのかわからないのが不安。 (70代 女性)
100 小さい子どもがいるので産地を気にしている。放射能が心配。 (30代 女性)
101 節電、非常用に生活用品を用意している。 (30代 女性)
102 特になにも変わらない。 (12歳 女性)
103 小学校では、電気(あかり)を節電している。 (12歳 女性)
104 防災とか地域の避難場所に関心を持った。 (30代 女性)
105 生きる上での気持ちが変わった (40代 女性)
106 何も変わらない。 (高校生 男子)
107 学校の行事、遠足が中止になった。 (中学生 女子)
108 家族みんなが元気でいれば、充分と思うようになった。 (40代 女性)
109 生活は変わらない、変わりたくない。 (40代 女性)
110 地震・停電になっても慌てない平常心を心がけている。 (50代 女性)
111 非常持ち出し袋を真剣にチェックした。 (40代 女性)
112 今までなかったラジオを買いました。 (30代 女性)